Profile
プロフィール
Yoshihide muroya 室屋義秀(むろや よしひで)
![]() |
室屋 義秀(むろや よしひで) 173cm/70kg 福島県福島市 在住
幼少の頃テレビアニメでみた「機動戦士ガンダム」。その主人公アムロ・レイに憧れてパイロットへの道を歩みだす。
映画「紅の豚」に強く影響され、飛行機野郎を目指し、20歳で飛行機操縦免許を取得するため単身アメリカへ渡る。飛行機のライセンスを取得するとともに、アメリカの航空産業の規模の違いに驚愕しその後のパイロット人生に大きな影響を与えた。 |
1995年(22歳) 目標を「操縦技術世界一」のパイロットに
但馬空港で開催されたブライトリングワールドカップ 。この大会で「ユルギス・カイリス」や「パトリック・パリス」が魅せた世界最高峰のエアロバティックス飛行に衝撃を受ける。 目標を「操縦技術世界一」パイロットに定め、本格的エアロバティックスパイロットへの道を歩き始める。
国内でグライダー教官として飛行技術を磨くかたわら、訓練資金調達に2年を費やした。
1997年(24歳) 初の競技会(スポーツマンクラス)参戦
![]() |
2月に再渡米し世界有数のエアロバティックス教官「ランディー・ガニエ」に師事し本格的訓練を開始した。このランディー教官により素質を磨きあげられ、その技術を飛躍的に向上させる。 |
1998年(25歳) 国内でエアショー活動開始
国内でのエアショー活動を開始し徐々にその活動は知られるものとなる |
![]() |
2002年(29歳) 競技志向型エアショーチーム「Team deepblues」始動
![]() |
本格的に世界レベルでのフライトを目指し、競技志向型エアショーチーム「Team deepblues」をスホーイ26の導入とともに旗揚げし活動を開始する。 |
2003年(30歳) アンリミテッドクラス世界選手権へ初挑戦
アンリミテッドクラス世界選手権へ初挑戦する。右も左も分らぬまま臨んだこの大会で、プロフェッショナルが集まるアンリミテッドクラスの下位クラスとはケタ違いのレベルを痛感した。しかし同時にトップパイロットとの交流も持つ事が出来るようにんなったのが最大の収穫であった。 |
![]() |
2004年(31歳) エアバンディッツ始動
![]() |
本格的なフォーメーションフライトのためにスホーイ29を導入。 |
2005年(32歳) 運命のプロジェクト
「POCARI SWEAT」スカイタイピングのプロジェクトを手掛ける。エアショー活動と並行して、航空啓蒙活動を本格化し絶大な反響を得る。自らも影響を受けたキャンペーンを手掛ける事に強い運命を感じる事となる。 この年、結婚。 |
![]() |
2006年(33歳) 活動の場は世界へ
![]() |
アラブ首長国連邦・アルアインエアショーに参加。ついにチームは国内を飛び出しその世界を海外へ広げる。国内エアショーも含め約20か所でフライトを実施。 |
2007年(34歳) エクストラ始動
レッドブルとスポンサーシップ契約を結び、新型機エクストラ300Sを導入する。 |
![]() |
2008年(35歳) トレーニングの日々
レッドブルエアレース参戦を目指した本格的なトレーニングがレッドブル主催でスタート。 |
2009年(36歳) レッドブルエアレース初参戦
レッドブル・エアレース初参戦
12月、国内の最も活躍した冒険家・挑戦者などに贈られる、Faust A.G. Award 2009で「挑戦者賞」を受賞。冬季オフシーズンも、チームメイト:ロバート・フライのホームベースである、ニュージーランドでレース機の改造・訓練などに加え、エアショー活動も精力的に実施。 |
![]() |
2010年(37歳) 国内初の公式大会 第一回全日本曲技飛行競技会開催
![]() |
前年に引き続きレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2010に参戦。 |
2011年(38歳) For Fukushima
3月11日に起きた東日本大震災により、ホームベースであるふくしまスカイパークも滑走路に亀裂が入るなどの被害を受け、目指していた世界選手権参戦も一旦白紙になる中、あづま運動総合公園に避難している子ども達を招待し「GW特別行事・少年少女航空教室」を開催、エアショーを披露。
現在まで14年間、180箇所でエアショーを披露。無事故。 |
![]() |